師諱を覺了、性林と号す。
生年月日、生国共に不詳である。
初め善宝寺末寺・浜中村正常院三世に首先住職し、次いで同じ末寺の田川村梅林寺六世となった。 正常院住職時代に、本山總持寺に瑞世する。
太源派正常院 一萬五千三百二十五世 覚了和尚 正徳六申年四月十六日 受業師 應傳和尚 (20世中興靈感應傳) 嗣法師 明山和尚 羽州之住僧也
總持寺住山記より
受業師は、善宝寺20世應傳大和尚であることが解るが、嗣法師である明山和尚は正常院世代にもいないため良く解らない。
(この時代に明山と号する僧は庄内寺院には数人いるため、よく調べる必要がある)
注)今まで21世覚了様・22世覚仙様については法脈も解らなかったが、住山記によって少なからず應傳様の系統であることがわかった。
正常院・梅林寺時代にはこれと言った功績等はみられない所である。
元文三年九月三日先住應傳様が示寂し、それに伴って翌四年に選ばれて21世に昇住した。 在職5年の内大きい業績は不明である
延享元年甲子三月十一日示寂する。
法嗣者は、東傳寺五世・梅林寺七世・保春寺十二世祥山靈瑞の1人である。
表 性林覚了大和尚
また、正常院では道号法諱を「性林學了」とし、梅林寺では「少林覚了」としている。
善宝寺での読みは[けいりんかくりょう]と云う。