2024-01-01から1年間の記事一覧
師諱を覺仙、大等と号す。 生年月日、生国共に不詳 師は初め温海菅野代寶傳寺3世に首先住職したと考えられる。後鶴岡(現神明町)の保春寺十一世に列する。 保春寺在職中に總持寺に瑞世をする。 太源派 保春寺 一萬五千五百七十二世 大等和尚 享保二年丁酉四月…
師諱を覺了、性林と号す。 生年月日、生国共に不詳である。 初め善宝寺末寺・浜中村正常院三世に首先住職し、次いで同じ末寺の田川村梅林寺六世となった。 正常院住職時代に、本山總持寺に瑞世する。 太源派正常院 一萬五千三百二十五世 覚了和尚 正徳六申年…
廿世應傳大和尚(享保八年住職)は、風の神と神通相通ずと伝う。 時に下川村に風邪流行り村人の死する者病に倒れる者数多し。應傳大和尚は寺内に居乍らにして、村人の風邪に罹る者を知れると。 村人、應傳大和尚に風邪を止められん事を願いに寺へ行くと、應傳…
師諱を良乗、時聖と号す。善宝寺十九世に住した。それ以外には伝わっていない。總持寺住山記には、良乗大和尚の瑞世記録がある。 無端派延命寺 一萬二千百九十二世 (時聖)良乗受業師(北岸)玄海 嗣法師(海按)指光 元禄十四辛巳歳五月朔日 總持寺住山記より 良…
現在の本堂と庫裏(總受付) 師諱を應傳、靈感と号す。 生年月日は不明、お膝元下川村 本間與治右衛門(下川本間家本家)の出身 出家剃髪の後鶴岡市神明町の保春寺に入 る。卍山道白の弟子で保春寺七世雲嶽石 瑞の弟子となり、師の室に入って法を嗣 ぐ。應傳は卍…
師諱を慧遠、弘道と号す。善宝寺十八世にして、五院普蔵院に輪住した。他転住等は不明である。大場秀弘老師著、曹洞宗庄内寺院年表を見ていくと慧遠大和尚と思しき僧があった。住山記と照らし合わせていくと、慧遠大和尚であると言える。 通幻派永源寺、一萬…
師諱を白雄、英屋と号す。 善宝寺十七世にして、その他転住等の詳細は伝わっては無い、(著者の調べる限り)善宝寺の前期の歴代住職のなかでも謎な人物である。しかし總持寺住山記を見る限り、白雄大和尚の瑞世した記録がある。 無端派梵照寺七千四百七十六世…
山門 本末略図 開山〜十九世迄 總持寺-龍澤寺-乗慶寺-善宝寺-末寺(34) 享保五年、本末争論以降 總持寺-五院普蔵院-善宝寺-末寺(41) 現在 總持寺-善宝寺-末寺(39)-孫末寺 善宝寺末寺数享保度、34カ寺延享度、41カ寺現在、 39カ寺内訳庄内、 33カ寺秋田、 4カ…
大雲方丈様と龍王経の続きになります 大雲方丈様は、庄内出身の学僧・父幼老卵 様共に親しくされていて、大山祐性院や善 宝寺末寺、砂谷福重寺等に、歴住している。 また「老卵南桂」とも云う。 今に伝わる山門の「龍澤山」は父幼老卵様が、京都宇治興聖寺に…
大雲方丈の「龍字」 大雲方丈は、諱を祥嶽、大雲と号した。 生国と生年月日共に伝わっておらず、善宝寺 昇住以前については余り分かっていないが、 善宝寺26世・面野山忠圓寺9世 温海長徳寺14世を務めた。 今から凡そ240年余り前の方丈様である。 大雲方丈様…
善宝寺歴住様の事は余り知られていない し、これから重要なので先に書いておく。 現在、庄内の曹洞宗寺院のなかで、大抵 總持寺派であり、その中で善宝寺の末寺、 孫末寺院はかなりの割合で占めている。 と、思われる 一応転載はしないで頂きたい。 御開山御…
はじめに、ブログ書くに当りて一言 郷土史が好きな物です。興味のある方も、 ない方も、へーと少しでも思って頂けれ ば幸いですここでは主に善宝寺等を詳 しく紹介して行こうと思っております このご時世、絶対に誹謗中傷、ご批判も 有ると思いますが、何卒…