郷土歴史覚書之扣

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26世大雲方丈様と龍王経②


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大雲方丈様と龍王経の続きになります🙇

 

大雲方丈様は、庄内出身の学僧・父幼老卵

様共に親しくされていて、大山祐性院や善

宝寺末寺、砂谷福重寺等に、歴住している。

また「老卵南桂」とも云う。

今に伝わる山門の「龍澤山」は父幼老卵様が、京都宇治興聖寺に住持していた時の書 である。この書は結構有名である。
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父幼老卵書「龍澤山」

 

さて、善宝寺で毎朝拝誦する龍王経は正式名称「大雲輪殿龍王楽経」と申し、八大龍王以下百七十三体の諸眷属の尊号を唱え、雨を請う陀羅尼を唱え、そして五十三体の如来の名号を読誦する。この龍王経は、元は雨乞いの経「大雲輪請雨経」といい、大蔵経密教部の部類に属し、日本には経文の異なる6つの大雲輪請雨経が伝わっている。1つに真言宗の不空金剛が訳した請雨経が伝えられている、然るに、善宝寺の龍王経はどれであるか、それは天竺の那連提耶舎と言う訳僧が訳した請雨経がそれである。詳しく言うと、天台宗穴太流の請雨経である。上下巻からなり、そのうちの上巻部分が大雲輪殿龍王楽経として善宝寺に伝わって来たのである。


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大雲輪請雨経上巻部分

 

この善宝寺の大雲輪殿龍王楽経は何処から出版されたのかと言うと、現在善宝寺で読まれている龍王経は、巻末に「龍澤山善寳寺蔵版」と書いてあるので善宝寺が版元である。この経本は昭和五十年代頃に檀信徒によって寄進されたもので、比較的新しい経本である。では善宝寺版の元となった経本があるのではないか、ここで善宝寺の寺史にも触れて調べていくと、寛政十年歳在戌午三月吉旦に防州(現在の山口県岩国市)の祥雲寺から請雨経が出版されている。これが善宝寺の龍王経の元である。当時の祥雲寺住持は知足丈観と言う人で、この祥雲寺も曹洞宗である。ここで大雲方丈と老卵様との関係も出てくるのである。
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防州祥雲寺蔵版

 

この防州祥雲寺は、老卵様が開山となった寺であるとされる。老卵様は同地善住寺の開山ともなっていて、岩国藩主吉川経倫公の帰依を受け開山となった。その祥雲寺から請雨経が出版され、それを知った大雲方丈様が、請雨経に帰依し老卵様に頼んで、善宝寺に請雨経を伝え、同経上巻部分を以て、大雲輪殿龍王楽経と名付けて今に伝わったのではなかろうか。祥雲寺版請雨経は上下巻が、合本となっていて上巻の終わりには、「是ニ於イテ、上下ヲ分テ二巻ト為ス。読誦之便ヲ以テ合テ一巻ト為ス」と漢文で書いてある。この文は善宝寺版龍王経の巻末にも同じ文言が書いてある。善宝寺でも請雨経自体長文であるので便宜上、上巻部分で区切るためにその理由として同文を載せたものと考える。が、大雲方丈の頃などは二巻共に読誦していた可能性もある?


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上巻、巻末部分

 

然るに、大雲方丈が請雨経に帰依し、以来240年間代々読誦され、現在は参籠祈祷時の「龍王祈祷」の時に拝誦され、独特な木魚のリズムで祈祷が厳修される。

龍王経は秘伝の経典とされ、全国でも今や読誦している寺院はないとされている。


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暁天祈祷時の本堂

 

今年は辰年御縁年の有難い年である、参籠して龍王経を拝聴するのもいいのではなかろうか。

長文ですが、読んで頂きありがとうございます🙇