郷土歴史覚書之扣

郷土の歴史をより詳しく書いき

26世大雲方丈様と龍王経①


f:id:tkdama:20240108194529j:image

大雲方丈の「龍字」


大雲方丈は、諱を祥嶽、大雲と号した。

生国と生年月日共に伝わっておらず、善宝寺

昇住以前については余り分かっていないが、

善宝寺26世・面野山忠圓寺9世

温海長徳寺14世を務めた。

今から凡そ240年余り前の方丈様である。

大雲方丈様は、25世到岸孤峰大和尚の弟子

である。到岸方丈様が天明元年正月十七日

に示寂され、同年に後住として善宝寺に昇

住された。方丈の功績は大きく、天明六年

泉州堺港に於いて築港のおり、招かれて

安全祈祷を厳修し、満願円成となり、同年

12月に有栖川宮織仁親王が善宝寺龍神尊に

病気平癒の祈願を掛けられ、大雲方丈を請

して、上洛される。無事平癒されると、宮

は善宝寺に改めて帰依し、有栖川宮家祈願

所となされ、御紋付紫御幕・御提燈其れに

拝謁の際に、廣末一柄を下賜せられた。

翌7年には御紋付網代輿を賜り、制札を建

てる。大雲方丈の代に善宝寺の名声は全国

に迄及んだ事になる。享和3年6月20日

善宝寺に於いて示寂なされた。

 

歴住御墓地にひっそりと方丈様の墓はある。


f:id:tkdama:20240109202902j:image

f:id:tkdama:20240109202918j:image


表 當寺二十六世大雲嶽大和尚禅師

裏 享和三癸亥六月廿日 示寂

 

大雲方丈と龍王経の因縁は、庄内出身の学僧

父幼老卵大和尚と繋がります。老卵和尚とは

師匠到岸方丈の頃からであります。

 

結構長文になるので、2回にかけて書き

ます💦

 

つづく、